スーツを脱ぐ

スーツを脱ぐ

こんにちは。新年度が始まってあっという間に1ヶ月が経ち、新入生も新しい生活に慣れてきたことでしょう。初々しいスーツ姿の彼らを見かけることも少なくなってきました。思えば昨年に入学した私も家族と選んだスーツを着て、祖母や同郷の仲間と一緒に写真に写ったものです。しかしその新調したスーツは今やクローゼットの肥やしとなり、引っ張り出されることはまずありません。多くの大学生がそうであるように。

ではなぜスーツを着る必要があるのでしょうか。一度目を瞑って考えてみてください。

何か思いつきましたか? 乱暴な推測ですが、「みんなが着るから」「ハレの日の衣装だから」以外の理由を思いついた人はいないと思います。これは別に誘導尋問でもなんでもありません。ただスーツを着ることに確固たる理由などないのです。さらに誤解を恐れずに言えば、スーツを着る必要などないということです。

なぜそう言い切れるのか。まず、みんながスーツを着るから自分も着るというのは正しいファッションのあり方ではないからです。あくまで服装というものは自分を表現し、自己同一性を保つための媒体であり、他人に合わせる必要は全くないのです。(ファッションと個人についてはこちらの記事に詳しく書いております。よろしければこちらも併せてご覧ください。)私個人の考えでも、自分の好きな服を着て大切な節目の行事に参加する人の方が格好いいと思います。次にハレの日の衣装としてスーツを着ることについてですが、これは決して間違ったことではありません。特別な日に特別な服を着るのは人生の楽しみの一つでもあります。ただ、スーツでなくてもよいのです。そもそも入学式や成人式は大学や自治体主導のものであり、そこにスーツ着用を強要する規則はありません。さらに別の視点から考えると、ハレとケの概念を見出した柳田國男は近代化におけるそれらの曖昧化を指摘しており、資本主義に生きる私たちにとって定められたハレ着を身に纏うという習慣自体が失われています。ノットスーツ、カジュアルな服装が行事の服装として認められる日は近いのではないでしょうか。

このように、行事でスーツを着る必要はないのです。もちろんスーツを着たい人がスーツを着るのは格好いいことだと思います。私もネクタイを締めてジャケットに袖を通すことで身が引き締まり、やる気が湧いてきます。しかし好きでスーツを着る人が増えればいいと思う一方で、スーツを半強制的に着なければならない人たちがいます。社会人です。朝の電車に乗ればフォーマルスーツに身を包んだ男性が所狭しと暑そうに会社へと通い、オシャレで格好よかった先輩は着たくないリクルートスーツを着て志望する企業へエントリーシートを書いています。これはしょうがないと諦めるべき状況なのでしょうか。そもそもスーツを着ることは社会人として不可欠な条件なのでしょうか。私はそうは思いません。普段着るには機能性が悪く、自己表現としてもかなり束縛されます。スーツを着させているのは押し付けられた前提です。

マナーの虚実が謳われてかなりの年月が経ちました。「了解」という言葉は目上の人に失礼だから使うなだとか、脱いだコートは外側を向くように持てだとか、誰が決めたかもわからないでっち上げのようなマナーを無理強いされる。そのマナーを学ぶためにお金を払う。このような状況は今も変わらずにあります。スーツ着用がこれと同じだとは言いませんが、類似する部分はあると思います。「社会人たるものスーツを着なくてはならない」という作られたマナーに従っているだけなのではないでしょうか。そもそもスーツ含む洋服が礼服になったのは明治時代の話であり、それも政や城内に関してだけで、どんなに拡大解釈しても身分制度のなくなった現代日本で無理やりに普段からスーツを着るというのはナンセンスに感じてしまいます。機能性やアイデンティティの点から見ても同じです。実際、いくつかの企業ではスーツでの就職活動や勤務を強制しなくなりました。クールビズも多くの企業が取り入れるようになり、スーツへの認識は徐々に変わって来つつあります。

それでもスーツの着用は現状では避けられ難いことです。スーツを着るべきだという意見は多数派であり、実際にスーツを廃止すれば多少の混乱は生じるでしょう。ただ、スーツを脱ぐという選択肢が周りを気にせずに好きな服を着る、好きな自分でいるきっかけになれば幸いです。

 

********************************************************************R.A

Twitter:@ENJIwu

Instagram:@enji_wu

Facebook:https://www.facebook.com/enji.w.u